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http://kannadukiyuhi.blog84.fc2.com/
↑こちらは「神無月と創価学会」のコピーサイトになります。

 FC2の82番のサーバーに障害が発生しているようで、

「創価学会とマインドコントロール」
「創価的ヒエラルキー 1」
「創価的ヒエラルキー 2」
「他人事じゃない」

 の4件の記事が消失しました。
 今、同じものを書く自信はありませんので暫く後にまた改めて書かせて頂きます。
 もし、一時ファイルなどにデータが残っていて記事のコピーが可能でしたら、テキスト形式で構いませんのでメールを頂けると大変助かります。ご協力宜しくお願い致します。
 sapurikimono@yahoo.co.jp

 82番サーバーの方の不調が続くようでしたら、こちらの84番に切り替えることも考えています。その際にはお手数ですが変更をお願い致します。

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11/20

 コメントも一部バグが出ているようです。
 管理画面での削除ができませんのでご容赦下さい。


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 11/22

 一時キャッシュが残っていた方から記事のコピーを頂きました。
 Kさん、本当にありがとうございます。

 コピーブログにも同じ内容でアップしております。
 ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。
スポンサーサイト
2006.11.22 /
 公明党に言われるがまま投票し、F票を掻き集めた結果がこちらです。

 心が痛みませんか?
 福運がつくと信じて貴方たちは行動したのでしょう。

 ですが、そのお陰でこうやって苦しんでいる人がいます。少なくとも公明党と自民党は今連立政権です。自民党の政策に多少なりと影響を与えることができます。
 もし貴方たちがそういう政策には賛同できない、と声を上げ、政治を宗教的な道具ではない視線で見つめていたならこの人達は苦しまずに済んだかもしれません。

 
 今幸せですか?
 この人たちの前に立って、公明党に投票したと言えますか?

 貴方たちが作り出した現実をしっかり見据えてください。
 
2006.11.21 /
地獄界・・・不具者、病者、狂人、ルンペン、邪宗教の坊主及び信者

餓鬼界・・・下級労働者、衣類住居まではとても手が届かず、 毎日毎日の生活が食を得る為に働いているような人々。アルコール中毒になつて酒が無ければ生きていかれぬといつた人間、金を もうける為には手段を選ばぬという預金主義者、其他何んでも目についたものが欲しくてならぬという様な性格異常者。

畜生界・・・パンパン、不良、泥棒、スリ、その他犯罪者。自分よりも強い者には絶対に従順で自分よりは弱い者にはいばるという人格の低級な人間。

修羅界・・・兵隊、警官、拳闘家、将棋、碁を職業とするような、人と争う人間。

人間界・・・普通平凡に生活している市井人。

天 界・・・大金持、元の皇族、貴族、一国を動かしている大政治家、経済家、偉大な軍人等々。

声聞界・・・学者、研究家、学生等。

縁覚界・・・大作曲家、音楽家、芸能上で一芸の奥義に達した者、何かの研究を完成した学者等。

菩薩界・・・二宮尊徳の如く広く社会を利益した者。偉大な発明発見 により広く社会を利益した者。例えばエジソン、ワット、湯川秀樹博士、支那に生れた孔子等。更に仏法を広め、 衆生に救を与えた人々。

仏 界・・・日蓮大聖人(御本仏)、釈迦(迹仏すなわち影の仏)、 天台(迹仏)、伝教大師( 迹仏)等

・・・・・・・・・・・・・・・・・・『折伏教典』より

 上記は創価学会の有名な暴言である。下線のある部分には特に注目して頂きたい。これが平和と平等と福祉を謳う団体の列記とした経典である。明らかに区別ではなく差別であり、現代社会を真摯に見つめる人間の言うことではない。そしてそれは人を見下す学会の体質を顕著に表している。


 では、何故創価学会は人(入信していない者)を見下さなければならないのだろうか?
 『創価学会はカルトか』でも似たような事を書いたが、これは力のある宗教は罰を与えられなければならない、といった所と通じるものがある。力のある宗教に入信しているから、自分にも力があるのだという優越がそこにはある。
 こういう考え方はどうだろう。それぞれの人間の持ち物を全てパーツに分けた時、信仰というパーツが信仰者にはある。もし同じだけパーツを持っている人がいて、片方が信仰というパーツを持っていたならそれはその分多くを持っていることになる。
 しかしそのパーツの数はひとそれぞれ違うのだから比べ様が無い。だがこの信仰が希薄な時代において確固とした信念を持っている、という事は一元論を大事にする創価学会においてはかなりの優越なのだろう。
 その感情を後押しするように、実質学会トップである池田大作は上記のヒエラルキーを明示した。池田の言うことは学会内の法律であるから、その上他の宗教は邪教と教え込まれた信者にとっては、優越を保障され肯定されたのと同一なのだ。

 創価学会において、信者は学会の力は絶対だと思っている。入会していることによって、優越は保障されている。それ故に非会員は優越を持っていない下層の住人なのだ。

 だから、外部では認められない事も信者の内では常識であり、
『汚い言葉を吐くことが、結局は、自分は汚いことをするまいという誓いになっているメカニズムがわかる人は、少ないのかもしれない』
 などという歪んだ価値観が出来上がってしまう。


 私の娘の小学二年生でさえ知っている。
 馬鹿という人が、馬鹿なのだ。
2006.11.19 /
 創価新聞には“寸鉄”なるものが掲載されている。寸鉄とは、小さな刃物で人を殺す。ごく短い言葉で人の急所をつく、という意味だ。
 
      ・・・・・・・
 ここである学会員の言葉を引用させて頂く。誰の言葉か、どこからの引用かはこの際関係ない。何故ならば社会常識に反した者と関わる気は一切ないし、引用禁止と明記されておらず、私もこれを引用され罵倒されようが自分のブログでやられるのなら構わないし、痛くも痒くもない。わざわざ私が顔写真をさらしているのも、もし反論があり面と向かって批判をしたいのなら受けて立つという意思表示だ。
      ・・・・・・・

 それでは、その文章を参考までに掻い摘んで書かせて頂く。

『クソ坊主をクソ坊主と言って何が悪い。そうでなければ他の真面目に修行している僧侶に失礼だ』

『悪い事をした奴がのうのうと生きているのが許せない。池田先生の大恩を忘れて謝罪もしない奴は批判されて当然だ』

 そして、極め付けがこの理論だ。

『偽善的に汚い言葉を使わなくなったから精神を病む人が増えた。
 汚い言葉を使った方が精神衛生にも良い。だから、私は率先して、屑には屑と言う。畜生には畜生と言える自分でいたい。 汚い言葉を吐くことが、結局は、自分は汚いことをするまいという誓いになっているメカニズムがわかる人は、少ないのかもしれない』

 ・・・何故そこまで自分が正しいと思い込めるのか、心底理解に苦しむ。 少なくとも社会と断絶して生きているのではないのだから、そんな暴言ばかり吐いている人間に誰が協力するだろう。それもこういった人種はいつ敵に回るか解ったものではない。同じ職場にいたならば私は徹底して業務以外の情報を洩らさない。通常の人間関係など作れない。
 そういった人間が人を救いたいと言うのだから矛盾も良い所だ。

 一般社会(日常生活と言っても良い)において、汚い言葉を吐く人間は敬遠される。許すことを知らない人間は成長もしないし、何故その人がそういう事をしたのか、考えることをしない。
 明らかに想像力の欠如がそこにはある。そして、人を見下すことに快感を覚える異常さがそこにはないだろうか。
2006.11.18 /
 貴方の隣に居る人って、本当に貴方が思うような人ですか?

 
 私の住んでいる地域の民生委員さんは、全て創価学会員だ。その中で持ち回りで委員をやっている。娘の小学校のPTAの役員はほぼ全てが学会員で、長年学童の役員をやっている男性は学会幹部であるらしい。その学童の先生はまた学会員で、どちらかといえば赤旗が似合う。
 家の筋の半数が学会家庭で、小さい頃から彼らはよく訪ねてきた。小さい頃から母親に『開けずに誰か聞きなさい』と言われ続けたのはそのせいだ。
 隣町には天理教の御殿があって、中学は天理教のお姫様と言われる我侭放題の先輩がいた。いつも取り巻を連れていて、気に食わない奴がいるととことんまで痛めつけていた。
 町内にはエホバの会館が点在して、修学旅行も来ない子がいた。献血が出来ずに小学校の同級生が交通事故で死んだ。

 学会員がいるということと、エホバがキリスト系だということだけは知っていた。天理教は他の人が教えてくれた。

 それはある意味幸福な時代だったと思う。
 そのままでいられたらどれだけ良かっただろう。


 でもやっぱり世界はおかしくて、このままではいられない。
2006.11.17 /
 サーバーエラーでここ2日間の記事が消えてしまいました。
 一つのみ復旧できたので改めて。


 “マインドコントロール”で一番最初の段階は『肯定されること』だと書いた。これは創価学会に入っている以上常に付きまとう。絶対的な教義を教え込まれ、それをそのまま言うことで周りからは賛美される。そこに自分というものが入れば糾弾され、矯正されていく。共感してくれる人々は同じ思想を持つ者として仲間意識が育ち、共感できない人達は間違っていると思い込むようになる。

 また、繰り返し言うことで“不安”を払拭する。少し周りを見ればそここに綻びは見られるわけで、排除しようとしてもし切れるものではない。しかし学会内ではその綻びの原因を全て外部に求めているので、不安を感じたら学会に従っておけば安定が保たれてしまう。
 そうして絶対的教義が完成していく。思考停止し、社会との摺り合わせをやめてしまうのだ。摺り合わせれば自分の“正しさ”が壊れてしまう。精神の安定の為にはそれは無理な相談なのだ。

 そもそも、日本人は肯定されることが大好きだ。好んで議論を交わそうとはしないし、議論を交わすことは即決別を意味する。集団に流される日本人らしい性癖と言える。

 例えば、『世界の日本人ジョーク集』ではタイタニックから海に飛び込む時の日本人の言葉としてこんなものが挙げられている。

 「みんな飛び込んでますよ」


 この“みんな”というのが曲者だと私は思う。このシチュエーションの場合は意味が限定されるが、通常使われる“みんな”というのは全ての人々が、という意味ではなく、誰が、とはっきり言えない場合が多い。少なくとも確信があれば“日本中で”とか“社会で”など固有名詞が使われる。はっきりしたここから~ここまで、という自信がないからこういう言い方をするのだろう。

 創価学会における“みんな”とは何だ。それは創価学会の中だけに通じる了解事項であり、肯定された事実のことを指す。決して誰が、とか教義のここが、ということではない。肯定されたという経験が肥大して一人歩きしているからこそ、自信を持ってあれだけ横柄に盲目的になれるのだ。

 『これが正しいんだ!』と反論する学会員の陰には、常に“みんな”がいる。そしてその中には自分を批判する学会員の存在は無い。


 肯定してくれる“みんな”。それは実体の無い幽霊である。
2006.11.16 /
 創価学会はフランスではカルト認定されている。

 結論から言えばこれは正しい。カルトの定義というのは複雑に枝分かれしており、ここで一口で述べるのは難しい。その中でも最も私の今置かれている環境において議論となる、信仰について抜粋する。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<信仰とカルト的狂信の違い>
 信仰においては、個人的な選択がなされ、質問や疑義が容認され、故人が信仰の危機に陥った時に援助がなされる。社会的行動は普遍的モラルの規範を越えることは無く、他の信仰への寛容があり、信仰を他の色々な活動に応用するよう勧められ、特定の生きた人間が神のように礼拝されることは無い。
 これに対してカルト的狂信では、グループが絶対的真理を擁していると見なされ、グループ内の法によってのみ行動をとらされ、それが社会規範に反するものでも顧慮しない。他の信仰は“悪”と結び付けられる。信仰の確信をグループの利益のためにのみ利用する。リーダーを偶像視する。
 ・・・第四章 カルトの見分け方・・・

 信仰というものは常にどこまでが純粋な信仰か、という線引きが難しいものだが、こと創価に関して言えばその排他性が何よりカルトだという証拠となる。事実カルト認定された経緯もこういった部分が主であったようだ。
 聖教新聞に踊る、他宗教や脱会者への侮蔑や暴言。修学旅行で神社にも入れない仏罰に締め付けられた子ども達。こういったものが何より証拠だと言えないだろうか。

2006.11.13 /
 フランスでは創価学会はカルト認定されている。

 これは『創価』で検索すれば至る所で目にすることが出来る事実だ。だが、学会員はこれを否定する。曰く、『アメリカや日本では認定されていないのは何故だ。一部の国のみが言っているだけだ』。
 確かに、何故フランスなのか?竹下節子著『カルトか宗教か』の中で詳しく説明されていたので掻い摘んで説明したい。


 ヨーロッパの歴史は常にキリスト教と共にあった。巡礼の道が交通網を作り文化を運び、人々の生活と密接な繋がりを持っていた。しかし一方では十六世紀の宗教改革ではカトリックとプロテスタントが大量の血を流している。ユダヤの迫害もそこに根ざすものだ。

  ・・・・・・・・・・・・・・・
 今でもバルカン紛争に見られるように、異宗教間の対立は深いし、異宗派同士の不和もある。フランスのように苦労して宗教分離を果たした国でも、無神論者や無宗教共和国派の反カトリックのこだわり、アレルギーは今でも大きい。日々の生活や交友関係にもデリケートなバランス感覚が要求される社会なのだ。
  ・・・はじめに より抜粋・・・

 そういった宗教の怖さ、政治に入り込んだ時のリスクを存分に理解している社会だからこそ、カルトに対する姿勢が他国に比べ真剣かつ強固なのだろう。

  ・・・・・・・・・・・・・・・
 フランスでは、政府にも文部省、厚生省、法務省など数省庁にまたがるカルト対策会が常設されているし、議会のカルト調査委員会も常設されている。カルト被害者を支援したり情報を提供する民間団体も充実している。フランスだけでなくヨーロッパ共同体のレベルでも、話合いがもたれている。
  ・・・はじめに より抜粋・・・

 
 フランスではカルト認定されている。と軽々しく口にする前に、それは何故か?と問われた時の知識は持っておくべきだと思う。フランスにおける宗教分離の歴史を浅くでいいから知っておかなければそんな言葉に何の意味も無い。
 少なくともオウムの事件で慌ててにわかしのぎの法律を作ったような浅はかな経緯で認定されたわけでは無く、古い年季のある宗教が根底にあり、それらは他宗教だからといって迫害するでなく救いの手を差し伸べるためにこういった法整備を整えているのだ。
2006.11.12 /
 南無妙法蓮華経 って、実際に創価学会員が唱えているのをみたことがありますか?

 先日、婚約者の父親の葬儀で目の当たりにしました。愛している相手でさえ、気持ち悪い様相でした。退会を迫るのは一方的すぎる、と思っていたはずの最後の理性まで跡形も無く消え。
 その嫌悪感は、私が成人してから祖父母が相次いで亡くなり、真言宗と浄土真宗の僧侶のいる葬儀と法事に何度も出ている慣れからかもしれない。
 だが、創価学会の葬式というのは祖父母の静粛な葬式と比べて、何と締まりの無いいい加減な式だろうと情けなささえ覚えた。きっとこの人達は他の葬式に出たことがないんだろう。例え出たとしても邪教だ、というフィルターで目が小さくなっているからその清浄な雰囲気を感じることができないのだろう。そうでなければ学会の言うことだから間違いない、と思っているか。
 素晴らしいと繰り返し言うが、どこが素晴らしいのか私にはちっともわからない。

 創価の友人葬、家族葬は故人への冒涜だ。
2006.11.10 /
 対外的には仏罰論は糾弾すべき所ではない、と仏罰論.1では書いた。だからといって悪くないとは、口が裂けても言えない。
 創価学会が持つ病としての仏罰論の一面もある。


 人はそんなに馬鹿ではない。信仰したからといって生活が向上するとは限らない。入会するまでは『入信しないとわからないこと』と言うが、入ってしまえば通用しない。勿論そこで『信心が足りないから』と突っぱねることも多いが、それでは簡単に脱会されてしまう。
 ここでまた仏罰論の出番が来る。退転者(学会内では退会した人のことをこう言って蔑む)に対して言われる言葉にそれが多く見られる。

 曰く、「退転すれば地獄に落ちる」
 曰く、「創価学会以外を信仰すれば不幸になる」

 これはまだ大人しい方の言い方だが、少なくとも一瞬でも創価学会の力を信じた者からすれば脅威である。退転したいと申し出た者はこれ以上の言葉で脅される。
 セールスポイントとして使う分には糾弾するな、とはこういうことだ。前出の使い方はまだ生ぬるいことが分かるだろう。だがそれを脅しとして使うならこれは立派に糾弾されるべきだ。

 仏罰論.1で洗剤に例えたが、こういった脅しは洗剤の効力を信じた者にとても有効なのだ。もしかするとこの洗剤を使うのをやめたら、病気になるかもしれない。それどころか家族が死ぬかもしれない。しれない、で済む人はまだ救いがある。しかし、妄信的に信じていた人ほど『これをやめたら死ぬ!』という脅迫観念が強いのでもうそうなると抜けられない。
 いくらその洗剤で魚が死のうがアレルギーが出ようが、自分や家族が死ぬよりマシ、なのだ。
 周りが何と言おうと、本人は恐怖に捕まっている。そして信心しているうちは幸せなのであえて恐怖を味わってまで出ることは無い・・・となる。

 こうなると麻薬中毒者とたいして変わらないと思うのは私だけか。
2006.11.09 /
『例えば人間が死んだらどうなるかなんて誰にもわからない。
よく、言うとおりにいていたら天国にいけるとか逆らえば
地獄に落ちるとか言う人がいますが、あんなものはデタラメです。
誰も行った事がないのにどうしてわかるんですか?』

 とあるドラマの台詞だが、この脚本家は何を指しているんだろう。

 

 創価学会を外側から見るとき最初に目に付くのが仏罰である。『他宗教に関わると仏罰が落ちる』『退転すると地獄に落ちる』など言われるのが該当する。
 これは何故か?まずは対外的な面から解いていきたいと思う。

 新興宗教を流行らせるには『セールスポイント』が必要不可欠だ。例えば分かりやすいところでは『奇跡』が挙げられる。病気を治すといった事から教祖が不思議な力を使う事まで、『これこれこういう信仰をすれば奇跡が授かる、与えられる』といった目玉商品となる。
 一方創価学会には『奇跡』がない。これが明確にカルトと分かれている証拠だ、と言う方もいるがカルトの定義はそこにはないのでここでは割愛させて頂く。では、創価学会の『セールスポイント』は何か。

 現世利益=ゲンゼリヤク である。

 キリスト教が復活を禁止しているのに対して、基本的に仏教では魂は輪廻するものだと考えられている。簡単に言えば、現世の苦しみは来世で報われ、徳を積む事で次の世代が幸せになれるという。そこに『現在』救済はない。今救われるということは、貧困、病気=お金が欲しいということと直結する。そういった欲望というものは秘められるものであり、耐える事が美徳だとされる。
 現世の救済を主とする、創価学会とその昔の後ろ盾であった日蓮正宗などは仏教としてはそういった面が少し異なる。創価学会などは戦後特にその傾向を強くした。『貧困から抜け出そう』といったスローガンも盛んに使われた。つまりはお金持ちになりたい、良い暮らしをしたい、なら創価学会に入りなさい、という事なのだ。

 だが本当に入会すればお金持ちになれるのか?といった疑問が当然湧く。『奇跡』が実演販売される新興宗教ではそれを見せることによって疑問を消し去るが、創価学会においてはそういうセールスポイントがない。今でこそ公明党という権力を持ち、地区の福祉に直結しているが、初期の創価学会にそれがあったかどうかは疑問である。

 それを補うのが『仏罰論』だ。他宗を全て邪教と見なし、そういうものを信仰していると不幸になる、罰が当たると言う。これは裏を返せばそれだけの力を持った宗教なのだ、と己を誇示する行為だ。仏罰と功徳は表裏一体で、創価学会に入っているから=幸福、創価学会以外=不幸という図式が先にあって、これだけの幸福を与えられるのなら邪教にはこれだけの不幸が与えられて当然、となる。

 これは別段糾弾すべきところではない。力のある信仰は、他宗教に罰が与えられて当たり前なのだ。その力故に幸福になれるのだから。洗剤に例えてみれば、強力な洗剤は清潔を保てる。それを使わないから不潔になって病気になる。これはどこからみても当然のことだ。

 ただ、その洗剤の効き目を信じるか信じないかの話なのだ。そしてその洗剤を使うことによって生態系が崩れるのも、また別の話だ。


 
2006.11.08 /
 あなたの恋人の信仰する宗教は何ですか?

 結婚すれば自ずとわかる事だが、付き合っている内はあまり意識しない。実はこれは大変危険な事だ。
 何故なら、女性の場合は嫁ぎ先の家の宗教を信仰するのが一般的だから。これを古い因習だ!と一蹴する人も多いが、良く考えてみて欲しい。何故嫁ぎ先と同じ宗教でなくてはいけないのか。これには明確な理由がある。宗派が分かれてしまった場合、『同じ墓に入ることが出来ない』からだ。
 宗教が違っても葬式は出来る。火葬も出来る。しかし、墓に入れない。そうなると、嫁いで苗字の変わってしまった貴女は生家の墓にも帰れない。新しい墓を作り、一人で入るしか道は無いのだ。貴女が産んだ子どもたちも、男なら夫の宗教を受け継ぐだろうし、女ならまた嫁いでしまう。未婚のまま亡くなった場合で、子どもたちがそれを望んだ場合のみ貴女は一人でなくなる。だが、その可能性はとても低い。
 ということは、貴女の墓はかなりの確立で半世紀を越えられない。

 創価学会の場合、特にこの傾向は強い。
 創価学会には戒名が無いからだ。これはもう、創価学会の墓にしか入れない。貴方が仮に入会したとしても子どもたちが拒否したらアウトだ。よっぽど子どもたちが出来た子で、新に戒名をもらい法要をし直してくれたら先祖の墓に入ることも可能だろうが。
 
 所詮、死んだ後のことだと思うならそれでもいい。
 だが、人間の致死率は100%なのだ。逆縁もありうる。その時貴方はどの宗教を選んで葬式を出すのですか?

 死はいつも突然やってくる。今考えたって早すぎることは無い。
2006.11.07 /
 初めまして、神無月ユウヒと申します。

 来年結婚予定の婚約者が学会二世。
 脱会させる為に様子を見ていたら、そうも言えない状況に。

 創価学会には本尊が無い。
 日蓮正宗からは破門され、法華経も本来は読めないはず。
 それを踏まえたら創価学会は今、永い神無月。
2006.11.06 /

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