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 創価新聞には“寸鉄”なるものが掲載されている。寸鉄とは、小さな刃物で人を殺す。ごく短い言葉で人の急所をつく、という意味だ。
 
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 ここである学会員の言葉を引用させて頂く。誰の言葉か、どこからの引用かはこの際関係ない。何故ならば社会常識に反した者と関わる気は一切ないし、引用禁止と明記されておらず、私もこれを引用され罵倒されようが自分のブログでやられるのなら構わないし、痛くも痒くもない。わざわざ私が顔写真をさらしているのも、もし反論があり面と向かって批判をしたいのなら受けて立つという意思表示だ。
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 それでは、その文章を参考までに掻い摘んで書かせて頂く。

『クソ坊主をクソ坊主と言って何が悪い。そうでなければ他の真面目に修行している僧侶に失礼だ』

『悪い事をした奴がのうのうと生きているのが許せない。池田先生の大恩を忘れて謝罪もしない奴は批判されて当然だ』

 そして、極め付けがこの理論だ。

『偽善的に汚い言葉を使わなくなったから精神を病む人が増えた。
 汚い言葉を使った方が精神衛生にも良い。だから、私は率先して、屑には屑と言う。畜生には畜生と言える自分でいたい。 汚い言葉を吐くことが、結局は、自分は汚いことをするまいという誓いになっているメカニズムがわかる人は、少ないのかもしれない』

 ・・・何故そこまで自分が正しいと思い込めるのか、心底理解に苦しむ。 少なくとも社会と断絶して生きているのではないのだから、そんな暴言ばかり吐いている人間に誰が協力するだろう。それもこういった人種はいつ敵に回るか解ったものではない。同じ職場にいたならば私は徹底して業務以外の情報を洩らさない。通常の人間関係など作れない。
 そういった人間が人を救いたいと言うのだから矛盾も良い所だ。

 一般社会(日常生活と言っても良い)において、汚い言葉を吐く人間は敬遠される。許すことを知らない人間は成長もしないし、何故その人がそういう事をしたのか、考えることをしない。
 明らかに想像力の欠如がそこにはある。そして、人を見下すことに快感を覚える異常さがそこにはないだろうか。
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2006.11.18 /
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