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『例えば人間が死んだらどうなるかなんて誰にもわからない。
よく、言うとおりにいていたら天国にいけるとか逆らえば
地獄に落ちるとか言う人がいますが、あんなものはデタラメです。
誰も行った事がないのにどうしてわかるんですか?』

 とあるドラマの台詞だが、この脚本家は何を指しているんだろう。

 

 創価学会を外側から見るとき最初に目に付くのが仏罰である。『他宗教に関わると仏罰が落ちる』『退転すると地獄に落ちる』など言われるのが該当する。
 これは何故か?まずは対外的な面から解いていきたいと思う。

 新興宗教を流行らせるには『セールスポイント』が必要不可欠だ。例えば分かりやすいところでは『奇跡』が挙げられる。病気を治すといった事から教祖が不思議な力を使う事まで、『これこれこういう信仰をすれば奇跡が授かる、与えられる』といった目玉商品となる。
 一方創価学会には『奇跡』がない。これが明確にカルトと分かれている証拠だ、と言う方もいるがカルトの定義はそこにはないのでここでは割愛させて頂く。では、創価学会の『セールスポイント』は何か。

 現世利益=ゲンゼリヤク である。

 キリスト教が復活を禁止しているのに対して、基本的に仏教では魂は輪廻するものだと考えられている。簡単に言えば、現世の苦しみは来世で報われ、徳を積む事で次の世代が幸せになれるという。そこに『現在』救済はない。今救われるということは、貧困、病気=お金が欲しいということと直結する。そういった欲望というものは秘められるものであり、耐える事が美徳だとされる。
 現世の救済を主とする、創価学会とその昔の後ろ盾であった日蓮正宗などは仏教としてはそういった面が少し異なる。創価学会などは戦後特にその傾向を強くした。『貧困から抜け出そう』といったスローガンも盛んに使われた。つまりはお金持ちになりたい、良い暮らしをしたい、なら創価学会に入りなさい、という事なのだ。

 だが本当に入会すればお金持ちになれるのか?といった疑問が当然湧く。『奇跡』が実演販売される新興宗教ではそれを見せることによって疑問を消し去るが、創価学会においてはそういうセールスポイントがない。今でこそ公明党という権力を持ち、地区の福祉に直結しているが、初期の創価学会にそれがあったかどうかは疑問である。

 それを補うのが『仏罰論』だ。他宗を全て邪教と見なし、そういうものを信仰していると不幸になる、罰が当たると言う。これは裏を返せばそれだけの力を持った宗教なのだ、と己を誇示する行為だ。仏罰と功徳は表裏一体で、創価学会に入っているから=幸福、創価学会以外=不幸という図式が先にあって、これだけの幸福を与えられるのなら邪教にはこれだけの不幸が与えられて当然、となる。

 これは別段糾弾すべきところではない。力のある信仰は、他宗教に罰が与えられて当たり前なのだ。その力故に幸福になれるのだから。洗剤に例えてみれば、強力な洗剤は清潔を保てる。それを使わないから不潔になって病気になる。これはどこからみても当然のことだ。

 ただ、その洗剤の効き目を信じるか信じないかの話なのだ。そしてその洗剤を使うことによって生態系が崩れるのも、また別の話だ。


 
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2006.11.08 /
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