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 対外的には仏罰論は糾弾すべき所ではない、と仏罰論.1では書いた。だからといって悪くないとは、口が裂けても言えない。
 創価学会が持つ病としての仏罰論の一面もある。


 人はそんなに馬鹿ではない。信仰したからといって生活が向上するとは限らない。入会するまでは『入信しないとわからないこと』と言うが、入ってしまえば通用しない。勿論そこで『信心が足りないから』と突っぱねることも多いが、それでは簡単に脱会されてしまう。
 ここでまた仏罰論の出番が来る。退転者(学会内では退会した人のことをこう言って蔑む)に対して言われる言葉にそれが多く見られる。

 曰く、「退転すれば地獄に落ちる」
 曰く、「創価学会以外を信仰すれば不幸になる」

 これはまだ大人しい方の言い方だが、少なくとも一瞬でも創価学会の力を信じた者からすれば脅威である。退転したいと申し出た者はこれ以上の言葉で脅される。
 セールスポイントとして使う分には糾弾するな、とはこういうことだ。前出の使い方はまだ生ぬるいことが分かるだろう。だがそれを脅しとして使うならこれは立派に糾弾されるべきだ。

 仏罰論.1で洗剤に例えたが、こういった脅しは洗剤の効力を信じた者にとても有効なのだ。もしかするとこの洗剤を使うのをやめたら、病気になるかもしれない。それどころか家族が死ぬかもしれない。しれない、で済む人はまだ救いがある。しかし、妄信的に信じていた人ほど『これをやめたら死ぬ!』という脅迫観念が強いのでもうそうなると抜けられない。
 いくらその洗剤で魚が死のうがアレルギーが出ようが、自分や家族が死ぬよりマシ、なのだ。
 周りが何と言おうと、本人は恐怖に捕まっている。そして信心しているうちは幸せなのであえて恐怖を味わってまで出ることは無い・・・となる。

 こうなると麻薬中毒者とたいして変わらないと思うのは私だけか。
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2006.11.09 /
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